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平野啓一郎さんの「分人主義」

6年前にこちらの「空白を満たしなさい」を購入してはいたのだけど、ずっと読めなくて体力的に本が読めるようになってから1、2年後にやっと読んで随分と精神的に助けられた本。



平野さんが言う分人というのはざくっと説明すると…

(例)私の場合

仕事での私

家族の前での私

友達Aの前での私

友達Bの前での私

友達AとBの前での私

異性の前での私

後輩の前での私

目上の人の前での私

子供の前での私

知らない人ばかりの中での私

大勢の中での私

1人っきりの時の私

いろんな私がいるけど全部私であるということ。私自身はそれに気づいていたり、気づいていなかったりするかもしれないけど、たくさんいるということだ。全ての人の前でおんなじ人なんていない。


だから人というのは相手をすべて理解しようとするのは不可能だということ。だからこそ、自分の前にいるあなたの声だけを信じたらいいんだなと気づかされたのだ。自分以外の人と対話しているあなたはまた別の人なのだと割り切ることが出来たならとっても楽になるし、相手を尊重することができる。


だから相手の悲しみを本当の意味で気づいてあげることは不可能に近いんだと思う。1人っきりの時の自分の悲しみや苦しみなんて他の人にわかるわけがないもの。(もちろん理解しよう、されようと努力することはここでは大前提での話です。)


なので、私の場合は旦那さんは亡くなってしまって(人って亡くなると自分の知らなかったことがたくさんいろいろと出てくるのだよ)それで悲しくて悔しくて大いに苦しんだのだけど、その時にこの分人主義に随分と助けられたのだ。


そうだよね。旦那さんのこと全部知らなくても当たり前だし、私は私の目の前にいた旦那さんだけ信じてたらいいんだなと思ったのだ。だって彼は私の前ではそういう姿でいたのだから。


それからは私はある人について他の人を介して聞くことはいい意味で受け流すようになった。目の前にいる人が直接自分の前で言うことだけ信じようと思った。又聞きしてしまうと、第3者を介しての違う面が出てくるのだから、意味がないのだよ。だから、そういう場合は直接3人で会うといいのだ。


そしたらまた違う分人が出てくるのだよね。人って面白いね。人って面倒くさいね。でも愛おしい。


だから苦手な人がいるとしても、私の目の前ではこの人イマイチだけど(笑)、他の人の前では違うのかもしれないって思えるようにもなった。逆も然り。私自身もすべての人には愛されまい、理解されまい。


ちなみに私はこちらの本をこの時1回読んで以来読み返してはいません。ディテールは忘れている部分はあるかもしれませんが、それくらい衝撃でした。暗闇に光が射し、めちゃくちゃ泣き通しました。後にも先にも本を読んでそんな経験はありません。でも未だ私を支えてくれています。みなさんも機会があったら読んでみてください。


この文面での分人Tより。


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天災、人命、政治について、日本について、自分が出来ること、自分が出来ないことについてここ数日たくさんたくさんいろいろ考える。

おっきな問題に悲しみや怒りがこみ上げてくる。自分の無力さに落胆してしまう。こんな感情は無意味だともわかっていてもやはり一旦堕ちる。まずはやるべきことをやる。出来ることからやる。わからないならもっと調べる。それはわかっているのだけど。

その気持ちの大きさに空回りして潰れてしまう人をたくさん見てきた。現実的にどうすればいいのかを学ぶ機会がいる。あるいは話し合いをする場所が。それは家族、親戚の中でもいい。近所のコミュニティ、何かのサークル、友人の中でもいい。なかなか語る機会のない自分たちが何を大切にしていくかについてのこと。

昨日はレッスン後ランチを食べながら普段はふざけてばかりの友人とひたすらこれらのことについて話していた。彼女も普段見せない顔でいろんなことについて怒っていた。話してみないとわからなかったこと。

そして私たちはいろんなことに無知過ぎるから少しずつ真実を知ろうとしていかなければならない。私のモットーは楽しいことをする。楽しくないことはなるべくしないなのだけど、これは苦楽でも何でもなく、特別なことでもなくて、もっとフランクにこれらについて意見が言い合えるといいなと思う。
今の自分が今まで生きてきたまるまる「結果」であるとするならば、自ずとやるべきことがわかる。

そこを確かめるような作業として毎日のヨガは非常に有効的。

時として見たくない自分もいるだろう。それでも見続けてゆく。ダメだったり、イヤだったりすることが溜まっていく様もしっかり見てそれが満杯になったらその都度空にしていけばいいんだ。
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今日は珍しく朝からエサレンセッション。

朝も本当良いよねぇ。セッション受けた後、ゆるゆるしながら1日過ごすのは最高の極み。
数年前のプラクティショナー研修時は朝からがしがし受けて気持ちよかったなぁ。
今思えばセッション三昧の日々。人生においても貴重な時間だった。食べ物も最高だったのもあるけど、ものすごく質のいい排便、ものすごく気持ちの良い生理だった。人の手に触れてもらうというのは、いわば無条件に愛されている状態。赤ん坊のような状態。最高の安心感は人のカラダを最高に喜ばせる。カラダが喜べばそりゃ、ココロも喜ぶ。太陽が昇って太陽が沈んでいくだけで笑みが溢れる。人と同じ時間を過ごしているだけで尊くて嬉しくて涙が出る。

夜寝る前とかも最高なんだよな。早寝だから出来ないけど。(…自分は受けたい。)
私は朝はヨガして、午後からエサレン受けて早めに寝るのが最高に好きだから今のパターンにしているのだけど。

ほんとは自分(私)の気が向いたら、今気が向いたよ。来る?行く!ってのがいちばん双方にとっていちばん楽でいいスタイルなんだろうねぇ。なんというかもっと受ける方もやる方も気楽にやれたら最高なんだな。密室でなくてもいいなと思ってて、人の出入りはあってもみんな気がいいから気にならない。みたいなのもいい。いつかやってみたい。


常に誰かを支持していることは、時にその誰かの考えや行動を自分も同意したことで、自分の考えだと錯覚することがあると思う。

だから自分の意見、自分の意思が曖昧だったり、わからなかったりする。

誰かの力を借りてあれこれ考えるためには有効だと思うけど、ずっといつもそんな感じじゃいつまで経っても自分がわからないのでは?

I think が言える人と話すのはとても楽しい。
正論でもなく、例え同意出来なかったとしても人のI think が聞けるのがいい。

I think は私も以前は何も言えなかった。それは自分の考えが間違っているかもしれないとか、人と違って恥ずかしいと思っていたのもあったけど、1番は自分がどう思っているのか自分の考えがなかったからだと思う。

今は間違っててても、人と違ってもそんな自分も自分と認めることが出来てるから1つの意見として言葉にすることが出来るんだと思う。

自分の意見は自分と対峙しないと出てこない。逃げてばかりじゃ出てこない。カラダと向き合ううちに嫌でもココロとも自分とも向き合うように成らざるを得ない。ヨガからの思わぬ恩恵だ。

小学1年生からの課題をこの歳でやっとクリアか!手を挙げて発表ほんと出来なかったな。